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更新日 2008-05-12


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「花嫁」のその後 逢いたい人に逢いにいく 2002年8月

climax.JPG 運命はあらかじめ用意されているのかもしれない。ー なんてのっけから書くと、お前はいったい何者なんだと言われそうだが、あの時、あのスニーカーを履いていなければ、僕はこんな人生を歩んでいなかったかもしれない。
 あの時とは、高校の入学式。かかとに「VAN」とロゴの入った真っ白な下ろしたてのスニーカーを履いた者がクラスに三人いた。三人は当然のように意気投合し、そして僕は、その中の一人にブラスバンド部に誘われたのだ。程なく、クラブの部長にフォークソングのグループに引きずり込まれ、ギターを買うはめに。同じ年、京都会館第ニホールで催された、VAN.JACKET主催のイベントで、京都の伝説のフォークグループ「ドゥディ・ランブラーズ」のサウンドに魅了され、自ら深みにハマっていったのだが、まさか音楽を生業に、ましてギターを弾き、うたを歌う自分が未来にいるとは夢にも思っていなかった。それが大学に入学して「シューベルツ」の弟バンドとして結成された「マヨネーズ」でデビューし、「はしだのりひことクライマックス」で「花嫁」がヒット。

 それから三十余年、いくつかのバンドに所属して、現在、僕は基本的にはソロで「唄う宅急便」と称しながら一年中全国を走り回り、時には気の合う、お互いが尊敬し合える仲間と旅に出て一緒に仕事をしている。これほど楽しく、すばらしいものはない。僕自身、どこまで続くのか分からないけれど、これからも逢いたい人に、逢いたい時に逢いに行く。そんな風に生きたいと思っている。「夜汽車」は「ブルートレイン」とか呼ばれて久しいけれど、「生命かけて…」と言わざるをえない後戻りのできない年齢になってしまった。もしかしたら、これが僕に用意されていた運命だとしても、これまでに出逢ったすべての人たちには心から感謝している。そして、今年もまた、僕が初めて書いた曲に「花嫁」という詩を書いてくれた北山修さんと同じステージに立てることに、そこで出逢う人たちに。

神戸新聞 2002年8月31日掲載
フォークソング、人生、そしてあのとき 〜リレーエッセイ* 風に吹かれて10 より
* きたやまおさむ「花はどこへいった 探し物は見つかったのか」→ 杉田二郎「きたやまおさむの世界 50代には50代の夢がある」→ 細坪基佳「大好きだったジローズ 思い出させた少年時代」→ ばんばひろふみ「僕らにとっての『いちご白書』 いつも先頭走ってきた」→ 後藤悦治郎(紙ふうせん)「背伸びしてたころ あっという間のデビュー」→ こむろゆい「父と行ったコンサート いつかは、私も武道館へ」→ 小室等「僕たちの時代 心の中に、あのメッセージ」→ 及川恒平「『出発の歌』についてのお詫びと訂正 作詞者としてぜひ、一言」→ 加川良「30年後の教訓1 今も私、その世界に」→ 坂庭→ きたやまおさむ「『良い兆し』 時代からのプレゼント」(敬称略)より

一本一本の樹がそれぞれ違うように 2002年

mark1.JPG 詩が先にあってそれに曲をつける場合、逆に曲を先に創る場合と、大きくわけると二通りのやり方がある。もちろん、詩と曲同時進行という場合もあるが、どちらかというと僕は前者の方が圧倒的に多い。詩から受けるイメージで曲を創るタイプだ。

 屋久島の友達、長井三郎くんから詩が送られて来た「一本の樹」だ。とてもわかりやすく、言葉がうまくまとめられている。一回目を通しただけですごく気に入ってしまった。詩を気に入るかどうかでずいぶん曲を創る気分も違ってくる。この「一本の樹」は、十曲ぐらい一度に平行して曲創りをしている時のひとつだった。ある曲を創り終えたのが夜中の二時すぎ、その日はもう寝よう、明日にまわそうと思っていたのだが、少しぐらい先行しようとギターを取り出し「春 緑の雨が降る」と創り出したら止まらない。どんどん詩が勝手にメロディを引き出してくれる感覚で「樹は空をめざす」まで一気に、不思議なくらいあっという間に出来てしまった。十五分もかかっただろうか? 何時間も何日もかかってしまう時もあるのに。 

 僕は、この歌を歌う時、毎回歌い方が少しずつ違う。こう歌わなければならないという決まりはまったくない。一本一本の樹がそれぞれ違うように、僕らひとりずつの歌い方で、それぞれの思いで歌ってくれたら、どんなにかうれしい。

 2002年3月発行の「私の好きな木」冊子より

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明日また旅へ 1987年3月

shogo004.jpg 十八年間、音楽に携わる仕事をしてきたのですが、ふり返ってみるとギターだけを弾く職人だったような気がします。

 詩より音の方が先行し、アンサンブル、ハーモニー、器楽演奏などを重要視していました。徐々に詩が先行しつつあったのですが、決定的にかわったのが笠木透さんと一緒に仕事をやり始め、曲を作りだしてからです。「ギターの演奏が荒くなったね」とよく言われるのは、詩の意味を伝えようとする神経がヴォーカルに集中しているためだ、というのは自分でもよくわかります。ギターの弦がよく切れるのも、曲によって強く弾きアタックをつける必然性があるからです。それでも物足りない時があり、もっとボリュームの出るギターはないものかと思うことすらあります。弦を切るよりも切らない方が、ミスコードをするよりしない方が良いに決まっているが、以前のように、さほど気にはならなくなってきました。しかし、音をあまくみてはいないし、向上心を失ってはいけないことも重々承知しているつもりです。主体性があり、個性的でインパクトのある、ナイスギターが弾けるようになりたいと思うのです。時には荒々しく、またやさしく。安達元彦さんのピアノがそうであるように。

 人間が楽器を作った。楽器が人間を作ったのではないのです。祖先たちは自分の意志を伝えるために木を叩いたのだろう。それが打楽器となり節がつけられ、ことばがのり、祭りや戦いや愛のうたとなって伝承されていく。まずは何らかの意志を人に伝えたいところから始まっている。フォークソングも元をたどればこんなところにあるのではないだろうか?スタイルこそ違うがかつてのロックがそうだ。若者の叫びがそこにあったのだから。ソウルミュージックもまた同じだと思います。どれもやはり人の魂をうたうのですから。しかし、フォークソングには人々が生きて暮らしている生活感がより一層入ってくるのだと思います。ですから伝承されたり、日常的事柄が題材としてうたわれることが多いのです。ウディー・ガスリーやピート・シーガーさん達が作ってうたったプロテストソングやポリィティカルソング、メッセージソングの数々も生活の中から生みだされた、きわめて必然性の高いものだったに違いありません。誰が好きこのんで怒りのうたをうたうでしょう。うたわざるを得なかったのです。じっとしてはおれなかったのだと思います。平和、愛、自然、チルドレンソングなど数限りなく人間が生きて考え想うすべてのものがフォークソングにはあります。
 それとうたのひとつひとつが規制されることなく、その時々に応じて、聞く人や、うたう人の心の置き所によって、楽しくも、悲しくも、また希望がわいてくるうたとして変貌できるのも、うた自身生きているからなのでしょう。ですから作者と関係なく強い生命力で生きながらえ伝承されていくのです。たとえ作者不詳となっても。ピート・シーガーさんが今でもうたい続けておられるのも、うたわずにはいられないものが、まだまだあるからだと思います。そして昔となんら変わってはいないポリシーとスタイルにこだわり生き続けている姿に、真のフォークシンガーを見ることができます。

 アメリカの音楽に限らず、世界の伝承音楽の中で、実に美しいメロディーがついたものがたくさんあります。シンプルで何度聞いてもあきがこない、心に残るものです。ことばの意味がわからなくてもメロディーを聞くだけで感じるものがあるとしたら、それはよいメロディーでレベルが高いものと思います。しかしながらそれは、俗に言う音楽的レベルの高さとは少し違った所に位置していて、より民族色が強いものではないだろうか。カーター・ファミリーのメロディーがそうであるように、元はスコットランドやアイルランドの移民達がアメリカに持ち込んだ伝承音楽から派生したと考えられるからです。そして、カーター・ファミリーはそんなものもソースにしてメロディーを作り、独自のギターピッキングとサウンドをアレンジしてオリジナルを創作していくのです。またそれをお手本にウディー・ガスリーは、ギターに自分なりのアイディアを加え、メロディーも感化されながら曲を作っていくのです。

 詩と曲とリズムの関係はまことに微妙なもので、この三つが一つになることによって人に伝えるパワーが最大となるわけです。どれ一つとっても大切なものです。時には、メロディーが引っぱっていくこともあります。たとえば全くことばがわからない人が聞いても淋しいメロディーであれば淋しく感じるし、踊るようなリズムであれば体もゆれてしまいます。もちろん例外も多くあるとは思いますが、だいたいにおいてそうでしょう。
 詩がすばらしく良いのにメロディーが悪いと詩の良さが半減されます。フォークスの場合、詩にメロディーをつけていく方法ですから僕にとってそれはそれは重いプレッシャーになってきます。違う詩につけた曲が「この詩に良く合う」からと交換してしまうことも多々ありますから、いかにマッチングさせるかがポイントになるわけです。
 リズムも決まり作者としては最高の仕上げとなって、でも聴いてもらうと全然ダメだったりすることも何度もあります。しかし、詩と曲が初めはなじめなかったものがだんだんなじんできて良くなったり、お客さんとなじんでくるものもあるから、わからんもんです。

 もうひとつ忘れてはいけないものにコード(和音)があります。ビートルズが出現してコード進行に新たな道が切り開かれたといっても過言ではないでしょう。もちろん彼らは大ポップスメーカーですが、どの音楽のジャンルの人々も彼らに多かれ少なかれ影響されたにちがいないでしょう。いつの時代の先輩達(もちろんビートルズも含め)もその時代に存在した音楽に感化され、体の中に入ったものが、自分のオリジナルを作る時に頭を出してくるわけです。
 キングストン.トリオ、ブラザース.フォー、P.P.M、…歌謡曲など、僕の青春時代を一緒に過ごした音楽達が作曲をする時に頭を出すのです。

 くたくたになって夜仕事から帰ると、一通の速達が下駄箱の上に置いてあった。「ついにやってきた」嬉しさと不安が入り混じった心境で封を開けると、ブルーのインクで書かれた歌詞カードと「気楽に作ってください。詩はどのように変えてもらっても結構です。ガンバッテ下さい。 笠木透」と書かれた紙が一枚入っていた。1984年10月のこと。それから毎日、家に帰ると一通づつ速達が届いているのです。中身は歌詞カード一枚でメッセージは何一つ入っていません。凄まじいプレッシャー、おまけに睡眠不足と疲れとその他のゴタゴタで、かつて経験したことのない最悪のコンディション。夜中の三時すぎまで作曲し、次の朝早く出かけていく、そのくり返し。計十四曲の詩にメロディーをつけ終えた時、まるで女の人が子どもを産んだ(産むことはできないから、その苦しさはわかるはずもないのだが)ような気がした。大きな苦しさの後にこんなに素晴らしい歓びを感じることができたのだから。

folks001.jpg このSONGBOOKにでてくるのがその時の子ども(曲)達です。今では三倍にもなったうたと一緒に旅をしています。多くなってきたので、手がまわらずにひとつひとつの面倒を見きれずにいますが、いくつかはもうひとりで歩きだしているのもいるみたいです。知らない街でそれらのうたを耳にしたらどんなに嬉しいことだろう。
 人に「変わったね」と言われる前に自分自身そう思うのです。かつて見たことも触れたこともないものに出逢い、勉強させてもらっているのですから。人を想う気持ちと生命の見方が大きく変わりました。それと社会を見る目です。すばらしい仲間に出逢えるよう胸をふくらませて、明日また旅に出かけます。

 ベトナム北爆開始。ベンチャーズが来日、エレキブーム。007大ブーム。野村克也三冠王。1965年、京都会館第二ホールで、VAN・JACKET主催の第一回「TAKE IVY」のキャンペーンが行われ、京都のフォークグループ " ドゥディ・ランブラーズ " がアメリカン・フォークソングをうたう。ブルーのストライプ柄の ボタンダウンシャツを着た青年が初めて聞くサウンドに魅了される。22年前の僕。

 長々とまとまりのない文章を読んでいただいてありがとう。これは僕にとっては「ギターを初めて弾く人に十曲のコードを覚えろ」というのに匹敵するものでありました。              

 1987年3月26日 自宅にて 坂庭賢享    「Folks SongBook vol.1 」より

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